辞書になった男 佐々木健一著 [読書]
序章を読んでいて次章以降面白くなるだろうと思ったが、その通りだった。
昭和47年1月9日、それまで仲の良かった見坊豪紀と山田忠雄の二人が決定的に分かれてお互い口も利かない間柄になったのだ。
見坊先生の表した『三省堂国語辞典』(略して三国という)は、山田先生の著作の『新明解国語辞典』(新明解)がこの日、会社そのもののバックもあって、山田先生の著作とされたのだ。
見坊豪紀は大正3(1914)年11月20日東京に生まれ、昭和11(1936)年に東京帝国大学国文科を卒業し、山田は目立たず、大正2(1916)年8月10日に生まれている。そして昭和15年山田を助手に採用し、ようやく「明解国語辞典」が昭和18(1943)年5月刊行された。それは「ひきやすく」「わかりやすく」「現代的なこと」で、累計61万部を売り上げた。
見坊が作り上げた「三省堂国語辞典」は、昭和35(1960)年12月10日初版刊行以来13年後の昭和48(1973)年8月20日までに脅威の117刷となり、561万5000部にもなった。
そして見坊から頼まれた山田は「明国」第3版を自分の著作として出版した。山田はかねて辞書界に残る弊害(他の辞書の言葉をそのまま採用する)を是正したく思っていた。
しかし、この辞書は2人の米櫃であり、それによって二人の生活は成り立っていた。この二人(二人とも鬼籍)は最後まで相手を尊重していたらしいが、米櫃次第によってはわからない。
数学 想像力の科学 脊山史郎著 [読書]
岩波書店も罪なものを出してくれる。チンプンカンプンだ。特にsin,cosinが出てくるとそれだけで拒絶反応になる。ただ数字なり、そのバックが人間の想像力の産物だというのがよく分かった。しかもそれは世界共通のものだ。が、難しい。岩波書店も罪。
日本の再設計を先導するリーダーの育成 (社団)日本経済調査協議会 葛西委員会 [読書]
これほど今の自分の考え方を具体的に示した提言はない。安倍首相も憲法改正だなんだといわないで、ここに書かれていることを少しでも実施したらどうだ。それがきっと将来の人材開発につながると思う。
日本の政治はポピュリズムに出していると言わざるを得ない。
日本が世界列強に処していくためにはMe too(私も)ではだめだ。私は若くないし、金もない。しかし、志だけはある。このままでは日本はダメになる。第二次大戦後アメリカの核の傘のもと、米ソ冷戦に 助けられ、一路経済発展に進んできた。それが可能だった。日本には一般国民の圧倒的な質の高さがある。
しかし、時代を背負う若者が将来への展望も開けず、彼らが持てるエネルギーを燃焼させ得なかったことであり、我々リーダーの責任は重い(p.32~p.33)。
今私は海外にいる日本人をテレビで見るのが大好きである。こんなところにもいるし、地球の果てにもいる。願わくは彼らに一層の幸せを。
独居老人スタイル 都築響一著 筑摩書房 [読書]
面白かった。16人の年寄の勝手気ままな生活振りが描かれる。裸あり、首くくりあり、画家あり、プチャリンあり、女性好きありだ。人生いろいろ経験してきたけれど最後の死ぬ間際になってああ、人生面白かったという話だ。この境地にはなかなかなり得ない。中でも、面白いのはどれかと探したが、結局どれも面白いか面白くないか、選べない。
渡良瀬 佐伯一麦著 岩波書店 [読書]
以前「鉄塔家族」を読んで、意外と面白かったので、今度は岩波書店が出版元ではあるし、面白かろうと読んだが、期待通りではあった。淡々と事実は進み、淡々と終わる。それ以上でもないし、それ以下でもない。ただ読ませる。私は1週間かけて読んだ。何の変哲もない事実が述べられている。鉄塔家族の方がもう少し上の階級を描いていた。
主人公の南條拓は車の事故を起こし、生活費3か月分も含めて50万円をサラ金から借りており、職場を変えた。また長女を怒鳴ったことから長女は一言もしゃべらなくなり、三男坊の祐一は川崎病を患っている。一家は最後には元通りの生活になるというお話。この著者が配電盤関係に詳しいのは著者の略歴にある。
成長から成熟へ 天野祐吉著 集英社新書 [読書]
これほど痛快な本はない。と思うのもこちらが年取ったせいか。今の政治家の発言、特に安部総理の今だに成長といい続けることは可笑しいと思っていた。公共事業中心の高成長とかなんとか言い続けている国会議員達を見ているといい加減眼を覚まさんかいと言いたくなる。GNPに代わる国民福祉指標なりを目指すべきだろう。
我々が実感できるもの、大量生産、大量消費の行く先が計画的廃品化につながる。それを広告によって売ろうとする。結局需要不足になる。そもそも人が多過ぎるのだ。発展途上国にしても人間が多すぎることが紛争の原因になっている。それが①機能の廃品化、②品質の廃品化、③欲望の廃品化をもたらしている。
これからの世の中は国家より個人、中央集権より地域が主体になるべきだ。今は日本人は一応満足した生活をおくれている。今日の老人化率は初めから分かっていたし、若者が減り、老人が増える。それに対する政策をとらずに来た結果が今日の事態を招いているのだ。政治家は先を見る目こそ大事だと思う。日本の政治家は先を見る目が全くないのか?タモリ 赤塚不二夫以下 河出書房新社 [読書]
彼は早稲田大学時代、モダンジャズのマネージャーをしていて面白くないからとさっさと学校辞めてしまう。このあたりは私が真似のできない点だ。私は後生大事に大学にへばりついていて、その後務めている銀行もつぶれたが、かろうじて定年退職している。彼は70年台前半のタモリ、70年台後半のビートたけし、80年台のアカシアさんまと並び称されている。タモリの芸とビートたけしの映画は評価しても、さんまはもう一つだ。さんまのテレビは見たことがない。
またタモリは私生活を一切明かさない。これは今は亡き渥美清さんと一緒だ。やれ結婚だ、離婚だと騒ぎ立てる芸能人が結婚と聞くといかにうそっぽい感じがする。それの比べて彼が芸能人としても普通人だというのが分かる。たまたま彼の演技が世間に受け入れられているのだ。彼にとっては彼の芸が世間で受け入れられようが、受け入れられまいが関係ないのだ。と私思う。
ああ、彼の密室芸を見たい。
階級都市―格差が街を浸食する 橋本健二著 ちくま新書 [読書]
東京都23区における街の格差の拡大を実証的に研究したもの。確かに格差は拡大しつつあるのではないか。自分の経験に照らしても、親の遺産は全部、銀行員時代の高収入も使い切って、今は借金すらある。また私が京都市内というか、大阪の中心部に行ってもかって程の活気は感じられない。 寂しい気がする。昭和50年代、東京のみが経済成長を続けていたようだ。
格差拡大を認めつつもこの著者は実況見分の最後は必ず名の知れた居酒屋に入り、満足する。そこには東京に住む誇りというか、嬉しさが感じられる。私などからみてもやはり東京は魅力ある。東京に住んでいる人は東京から離れるなどは考えられないのでは。
ジェントリフィケーションが何を表すのか。それは製造業が衰退し、代わりに職業構造が高度な技能を必要とするものと単純労働に分極化することによって被雇用者の内部に大きな格差が表れることを意味する。
もちろん格差拡大は良くない。同一地域における格差拡大は対立を助長し、融和を妨げる。世界各国の紛争はこのようなことから生じている。その解決は難しいだろう。
蛍の森 石井光太著 新潮社 [読書]
日本で会ったこととは思えない筋だ。しかも1952年といえば私が小学校6年生の時だ。全く日本の警察もいい加減なものだ。
これは1952年と2012年二つの話が交互に出てくる。1952年の記事が読むのに苦痛であった。これは癩病というヘンド(浮浪者)の物語である。
乙彦は母親の深い愛情で育てられていたが、母親が生業で酒を売るために男の言うままになっていた。たまたま赤ん坊が生まれ、それまで妾になっていた深川育造に見つかり、首をくくって自殺する。乙彦は食べ物もなく、小春という仲を得て、癩病者が集合して暮らしているカッタイ寺に寄宿する。そこで彼は小春や虎之助と仲よくなるが、彼だけが癩病者ではない。癩病はなかなか大人にはうつらない。ある日、小春が連れて行った場所で、何十万匹という群れを成す蛍を見て、一生の思い出にする。ただそこには平次という悪人がいて、悪事を働く。彼も、癩病者だ。
住職は非業の死を遂げ、虎之助も相手の善意を信じたため両眼を潰され、最後は自死する。
小春は男どもに輪姦されたり、意に沿わない男との結婚を強要されたりしたが、結局、療養所を逃げ出し、自分の生んだ娘と平和な生活を遂げようとする。
この娘がこの深川育造、上岡仁の2人を殺し、野村二郎も殺すことになる。それを乙彦が自分のやったことだという。あかりと犬娘(テル子)は崖から飛び降りるが、テル子は死に、あかりははかろうじて助かる。
最後に乙彦を父とする私は今は目の見えなくなった小春を訪ね、自分の伯母であることが分かり、涙する。小春は自分の血のつながった弟との生活ほど心潤すときはなかったと回顧する。
しかし、これほど辛いめにあいながら乙彦や小春の凛々しい生き方ができたものと思う.
神様からひと言 荻原浩 光文社文庫 H26.2.2読了 [読書]
面白かった。主人公の佐倉冷平(サクラリョウヘイ)が5年間同棲していた鈴子(リンコ)が出て行ってから、自分で探して会うまでの一年足らずのお話。
彼は半年前にそれまでいた会社をティンパーウルフの刺青をしていたことから辞め、今は珠川食品に中途採用され、販売促進部にいる。彼は企画書を練り、会社の販売促進会義でプレゼンターとして暗記するほど読んでいたが、末松課長が読んで滅茶苦茶になる。そして彼はお客様相談室に左遷される。
彼はそこで篠崎という競艇好きの仲間と付き合ううちいろいろと教えてもらう。
篠崎は奥さんと女の子がいるが、半年前から3か月別居しており、離婚届けを送られている。そこへ、新しい美人(宍戸)が配置換えされてくる。
冷平は元音楽員で、リンコを探すうち、リンコの女友達のマキさんからいろいろ忠告される。職場では暴力団などを相手にしたり、新宿駅のげんこつ亭で毎日に行列のできるラーメン屋でメニューに載っているラーメンを全部食ったり、手伝ったりしている。その店主の光沢さんが意外と男気のあるのを知って許してもらったする。
しかし、そのことから自分を採用してくれた副社長が陰で女を囲ったり(それが宍戸がお客様相談室に来た真の理由)、ごそごそしているのを知る。もともと辞める気だった冷平はそれを販売促進会議で発表しする。そこへ玉川政次会長が今は車椅子に乗った自分の妾を押して現れる。冷平は福岡に行って、お土産をもってリンコに会う。リンコは相変わらずだ。
脊梁山脈 乙川優三郎著 新潮社 [読書]
大仏次郎賞をもらったというので、前にもこの著者の本を読んだことがあり、即買った。前は時代劇で、ちょうど藤沢周平が死んだばかりの時であり、藤沢修平の後釜かと騒がれていたのを思い出す。以前は直木賞をもらい、「生きる」という本だったが、筋は忘れた。
この本は第二次大戦後、上海から復員してきた矢田部信幸が、車中親切にしてくれた小椋康造を探す。
矢田部は伯父の遺産で食い扶持に心配がなくなり、母親と同居している。そのうち、自分が次第に木形子(こけし)を作った木地師の世界に嵌まっていき、信州や東北を旅する。ついには古代の記紀のあやふやな点にまで話が及ぶ。彼は小椋を探すうち、木地細工物を売って歩く小倉多希子や画家を志す佳江と深い仲になる。
小倉は鳴子の芸者になり、佳江はパリに行ってしまう。母親は信幸の弟の修が生きて帰ってくることを期待している。そして信幸は佳絵の経営する「月の夜」で紹介された高村から、彼は小椋康造と再会する。そして病院に入った多希子と将来は夫婦になろうとする。
都市と緑地 石川幹子著 岩波書店 [読書]
私はBSテレビをよく見る。その時つくづく思うのはイタリア、フランス、デンマーク等のヨーロッパの諸都市が本当に綺麗なことだ。しかも特色がある。日本のように汚い、しかもどこかで見たことがあるような建物が立っているのとは大違いだ。もっとも人口が多いというもんだいはあるが。
その背景にヨーロッパ諸国は馬車道が発達していた(過去のその街の伝統と考え方)違いはあるものの、過去の歴史から見て、成り行き任せの日本の政治家には何ら計画的な考え方の欠如していたことが伺える。これは一人為政者の問題ではなく、国民全体がそうなのだろう。だって江戸時代はもっとましだったのだ。ただし、庶民は立ち入り禁止だったが。
日本でも東京はましな方で、大阪やその他の都市に至っては全く都市として美しくない。これは部分をつなぐネットワークシステムがほとんど活かされていないことによる。その鍵となるのは公園緑地と、河川、街路であるとこの本では書かれている(p.307)。
経済学は人びとを幸福にできるか 宇沢弘文著 東洋経済新報社 [読書]
シカゴ学派に対して、これほどの反対意見を述べる人がいるとは思わなんだ。私が知った限りでは貨幣量のみ操作すれば足り、それ以外は一切触らないというミルトン・フリードマンなどむしろ尊敬こそすれ、けなすなどとても出来た事ではないが。フリードマンが水素爆弾を使ってもてもいいなど言い出すとは思わなんだ。
宇沢氏が文部官僚を攻撃する割には、東大をでて文化功労者や文化勲章をもらったりしている。もう少し官僚群の中に入って内部から改革すればよいのにと思う。
彼は戦後の日本に対するマッカサーの改革を非難している。時期が来るのをひたすら待っていたのだろう。ケインズなどボロカスだ。宇沢氏の主張は社会的共通資本の語につきる。それは市場原理主義では守れないとして、それをもっと育成せねばならないと説く。私にとって懐かしい稲田献一さんの名前を見つけた。彼がよく家族を連れて我々との議論に入っていたのを思い出す。もっとも私はトンと分からず、門外漢でそれに加わったことはないが。2002年5月に亡くなられたそうっだ。
また優秀な経済学者をたくさん褒めている。その中で石川幹子さんの『都市と緑地―新しい都市環境の創造にむけて』の本も推薦があったので読んでみようと思う。
日本では90%の子供達が高校に進学し、大学進学者も40%に達する。教育産業に対する価格弾力性は低く、所得弾力性は高い。このような現状をどうみるか。また森喜朗元首相は日本のことを天皇を中心とする神の国といい、世界中から顰蹙をかったが、このような人物を選ぶ選挙民の気持ちがしれないし、ましてや国会議員たちは派閥の長に選ぶ。すべて金の力だ。稲田先生も、宇沢氏も同じく数学畑出身の学者だ。理科系の人ほどその主張は明快だ。
深川澪通り木戸番小屋 北原亜以子著 講談社文庫 [読書]
読み応えのある本。作者は昭和13年の生まれで、私より2つ歳をとっているが、つい最近亡くなったばかりで、この本もこれで終わりらしい。
深川澪通り木戸番小屋、両国橋から、坂道の冬、深川しぐれ、ともだち、名人かたぎ、梅雨の晴れ間、わすれものの8編が収められている。江戸の市井の片隅で生きる名もない人々の暮らしぶりが描かれている。ただみんな最後は収まるところに納まっている。その意味では安心して読んでいられる。笑兵衛もお捨もこの世から消えてしまったかと思うと何か寂しい気がする。現代では珍しい人達で、いまどきこのような人柄はないし、あってもわが身に金あってのことと言われる。
去年の冬、きみと別れ 中村文則 玄冬舎 芥川賞、大江健三郎賞受賞、 [読書]
芥川賞は難しい。またこの本に書かれていることも完全に理解したとは言えない。結局本の執筆を断りにいって、その相手も木原坂雄大(35歳)の姉である朱里の第2のセックス相手であったなど分かり難い。
最初の火事で焼け死んだ盲目の吉本亜希子も焼け死ぬ様を雄大が写真にとって、雄大が一流の写真家になろうとするも、才能がない彼はなり切れず、逆に栗原百合子が2度目の火事で死んだことから1度目の火事も自分で火をつけたのではないかと疑われ、死刑判決を受けた。
それを小林という人物が書こうとして、拘置所に行ったり、朱里にあってセックスしたりする。小林は雪絵という交際相手がいたが、今は別れようとしている。
その小林も結局は本を書かないと言い出す。それは栗原百合子が偽物で本当に焼け死んだのは雄大の姉の朱里だったからであり、そういう風に仕向けたのは小林と朱里に振られた弁護士だったのだから。
人類が絶滅する6のシナリオ フレッド・グテル著 夏目大訳 河出書房新社 [読書]
面白い。読み応えのある本だ。6つの原因とはスーパーウィルス、大量絶滅、気候変動、生態系、バイオテロリズム、コンピュータの6つだ。
① ここに例があげられているのは、ヨーロッパの人口を1/3にしたペストや血を浴びた人に感染するエボラ、鳥インフルエンザの例が挙げられている。いずれも致死性と感染性を備えたウィルスとは言えなかったが、このウイルスが突然変異し、両方を持つウィルスがあらわれたとしたら、ワクチンも間に合わず、病院も即満タンになり、人間がバタバタ死ぬだろう。
② 大量絶滅ではラージブルーという蝶の例が挙げられている。その原因は蝶のエサとなるミルミカサブレティーが人間の活動によって滅びたことに寄る。核戦争によってそれだけで人間の食糧は絶たれ、人間は飢え死にする。
③ 気候変動も大きい。人間の生存にとって不可欠な酸素を最新ジェット機はあっという間に消費してしまう。それにオーストラリアの旱魃。北極や南極の氷が解けたら、すべてが海の底5mになる。いずれも人類にとって難題。
④ 天然痘のウィルスなど世界各地で突然変異等で改造することが可能。もしそれがアルカイダのようなテロリストの利用することになったら。
⑤ コンピュータがロボット化し、人間を支配するようになったら。④と⑤は今のところ遠い未来のことのようだが、技術進歩は日進月歩である。いつそのような事態になるかもしれない。その時に慌ててもそれは遅い。
いづれにしても地球資源は限られており、今のように炭素資源を使い続ける限り、人間にとって未来はないし、ホモ・サピエンスは滅びる。
不本意な敗戦 坂本幸雄著 日本経済新聞社 [読書]
これほど心に訴える本は読んだことがない。日本の電機メーカーやIT産業の弱点など明らかである。日本企業では好きなことをしたければその企業のトップにならなければ不可能だ。社長は部下から上がってくるものを選んでその中から自分と何らかのコネクションがあるから付き合う。それもゴルフとかの何らかの遊びだ。坂本のようにTOP同志の厳しいコネクションをするためではない。日本企業の没落は目に見えている。
この章で最も面白かったのは第6章の「2つの勝ちパターン」だ。日本企業の欠点をあますことなく見事に叙術しているとしか言いようがない。社長には社長の役割、課長には課長の役割、労働者には労働者の役割があろう。これを実際に体現し、苦労しているのは中小企業の経営者かもしれない。戦後まもなく日本企業が復興を成し遂げたのは大企業も含めて若い人中心に日本の復興のため粉骨砕身働いたことだろう。いまでは個性ある経営者が外され、御用聞き的で、皆と調子を合わせるのが巧みな人が経営者になってきた。その咎が出てきて今日の日本作り上げたとしかいいようがない。
それにしてもアングロサクソンは優れている。現在のアメリカをみよ、大学を出た者とそれ以外の労働者を確然と区別し、若い内から経営者としての素質を鍛え上げている。日本のように単に大学に在籍したというだけで、何ら専門的な勉強もせず、それなりの処遇を求めるのは箸にも棒にもかからない。大学で勉強したことをもとに将来の進路を決めるのではない。自社の製品に対する愛着もない経営者がなんと多いことか。こんな教育をしていたのでは日本は早晩沈没する。
アメリカで不思議なことがある。簡単に人員整理しているようだが、特に目をかけた人物には手を打っていることだ。会社にとって必要な人材はそれなりに目をつけ、慰留している。これで疑問が解けた。
社長として必要な資質は愛情経営、スピード経営、経験、トップセールスそして訴訟を恐れないことだ。いづれも日本の経営者に欠けているいる問題だ。
人は見た目が9割 竹内一郎著 新潮選書 [読書]
なかなか面白かった。漫画、舞台、人の仕草で、言語以外の伝達手段『非言語コミュニケイション』には様々な方法があることをよく認識させてくれた。この本は世間でもっともよく売れている本だそうで、112万部以上だそうだ。特に日本ではこの非言語コミュニケイションをよく理解していないと、その場の雰囲気に合わないものと見なされる。
日本で出版される本のなかで漫画が約3割を占めることから見ても、世界で漫画大国と認められているようだ。漫画もその描き方から見ても教えられることが多かった。
一の悲劇 法月綸太郎著 祥伝社文庫 [読書]
これだけどんでん返しのある探偵小説も珍しいのでは。全く予想もしなかった犯人だ。久しぶりに本を読むのが楽しかった。この本の紹介者は前のハルさんの著者だ。最後の解説で「運命の1冊と言えるほどの衝撃を受けた本」とあるのでそれは面白かろうと早速に注文した。
最初でこそ真の犯人は山倉史郎の妻、和美ではないかとそんな考えが頭に浮かんだが、物語を読んでいるうちにすっかり忘れてしまっていた。それが突然現れる。
ハルさん 藤野恵美著 創元社推理文庫 [読書]
心温まる父と子の物語。最後は私も少し涙もろくなっていた。春日部晴彦が瑠璃子と結婚して間もなく死なれ、一人娘の春日部風里を結婚まで育てる苦労だ。
第1節は、彼女の幼稚園時代、仲の良かった隆君の卵焼きがいつの間にかなくなった事件。それは隆君が卵アレルギーで、それを知らないで、たまたま来た祖母が作り、隆君の弁当に入れたことから生じた事件。
第2節は、風ちゃんがたった一人で北海道まで行った話。
第3節は、高校時代ちかちゃんが親の転勤で転校することになり、同じハンドボール部の親友の風ちゃんが涙を見せる。
第4節は、高校最後の冬休み、向かいの黒いビル写るクリスマスツリーの見える歩道橋で会う約束をしていた落し物の主が(アルバイトをしていた風ちゃんがわたし損ねた)無事会うまでの経緯。
いづれも若くして死んだ瑠璃子さんの助けで解決する。ハルさんがテレビもやっと買ったほどの貧乏暮らしだった。最後は風ちゃんの結婚式。
アップル帝国の正体 後藤直義・森川潤著 文芸春秋刊 [読書]
おそろしいアメリカの力だ。ソニー、松下、東芝、シャープ、三洋電機といった家電会社が旗をかかげ、家電王国と言われた日本はどこへいったのだろう。今やジョブズという天才にほしいままにされ、流通経路まで剥奪されている。シャープが三重県の亀山に液晶専門の工場を作ったのはほんの最近だったような気がする。わずか4~5年で世界のそれも最先端の工場がアップルの下請けに成り下がるとは。大量の注文を、それも相手の技術力をみての発注は当然のことながらその注文がなくなると、それまでの設備投資が無駄になり、その会社は立ち行かなくなる。
アップルとて例外でない。ジョブズ亡き後、すでにその兆候は表れつつある。日本のメーカーはその間にアップルのような独創的な技術開発によって、再び往年の家電王国を築けるか。
震災画報 ちくま学芸文庫 宮武外骨 [読書]
これはてっきり東北大震災のことを叙述したものだと勘違いして買った。なんと関東大震災のことだとは本の中身を見るまでわからなかった。
何十万人が死んだ。家族の悲しみはいかばかりだろう。中でも本所被服廠の惨劇など見るに忍びない。相も変わらずの政府の無策振り、今の世なら内閣総辞職ものだ。教場 長岡弘樹著 小学館 [読書]
こんな世界があるなぞつゆ知らなかった。長岡弘樹といえば「傍聞き」を読んだことがある。探しまくったが感想文を「吾輩は犬である」に書いていた。
一般社会人が警察官になろうとして入る学校のことだ。第1話職責、第2話牢問、第3話蟻穴、第4話調達、第5話異物、第6話背水の6話からなる。
新しい教官は気短といい、皆恐れる。風間公親のもとでみんなそれぞれの人生を歩む。それぞれに経緯を持ちながら辞めたりして、最後の卒業式を迎える。
コンスタンティノープルの陥落 塩野七生 新潮文庫 [読書]
著者の本は何冊読んだことだろう。これも塩野七生が書いていると知って即買った。チェザーレボルジアやマキャベリ、海の都の物語などこの人の書く本は残酷過ぎず、難し過ぎず、面白い。ただローマ人の物語は長過ぎて読まない。まさに歴史小説を読んでいる感じだ。
この本も著者の癖だろうが、資料を丹念に読んでいる。私は誰が出て来ようがそんなことはお構いなく読んだ。それでも地図を見たりして、結構時間がかかったが。後の解説を読むとそれは皆記録を残した人たちだった。
1453年かくしてビザンティン帝国は滅んだ。
百駅停車~股裂き駅にも停まります~ 杉崎行恭著 [読書]
著者の見た特色ある駅の写真集。ただ股裂き駅とは売れるための本の名前としか言いようがない。日本の風景「駅舎」の方が写真集としては面白い。別に読まなくてもいい本。ただJRにしろ私鉄にしろ駅は郷愁をそそる。
日本国憲法 小学館アーカイブス [読書]
憲法の条文を第1条から第103条まで羅列したもの。一度読んでおきたかったもの。
ヨーロッパ文明の正体(何が資本主義を駆動させたか) 下田淳著 筑摩選書 [読書]
ヨーロッパが大航海時代、何故地球規模に拡大し得たか。それを著者はヨーロッパには金銀銅の貴金属がなく、無い物ねだりに外へ出ていかざるを得なかったことと、過去からの伝統として棲み分けにあったとしている。金銀銅がなかったのはうなづけるが、棲み分けは難しい。
1つにはキリスト教が全く不寛容な宗教であったとしている。これは今のアラブ諸国の宗派対立を見ているととてもうなずけないし、アラブ諸国はもっと勉強すべきだろう。棲み分けには自生的・生態学的棲み分けと能動的棲み分けの2種類あり、前者には人口、市場、富、権力、後者の代表が時間と空間である。農村内における居酒屋文化こそ富の分配を含めた棲み分けの代表的なものだという。すべての人が貨幣なしでは生活出来ない状態である。それは一方で、何でもかんでも計算づくの理系資本主義社会を生んだ。いわゆる科学技術と資本主義である。
これからの社会は経済成長は無理であり、「ゆっくり」「ある程度」「ほどほどに」「余裕をもって」「マイペース」といった方向へと変えていかざるを得ない。
カリスマ社長の大失敗 國貞文隆 メディアファクトリー新書 [読書]
すぐに読めたが、何だかもの足りない。売れることを目的にしたジャーナリストの文章だからだろう。誰でも有名人は、功なり、名の知られた人もやはり自分と同じ境遇から、あらゆる失敗にめげず、今日の自分を築きあげてきた人の立志伝なら万人が興味をもつ。
なんといってもこの人達は生まれつき優れた素質を持っていたとしか言いようがない。この人達の背後にはどれほどの失敗者がいたことだろう。運と言えばいえるし、もともと出自が違ったのだ。孫正義にしても九州の親父がパチンコ王と言われるくらい金があったし、柳井正にしても親父が息子に商売を任せて引退したのも、特別な事情があったと聞いている。経営者が数々の失敗にもめげず、成功したのもそうした運命にあったとしか言いえない。
人口減少社会という希望 広井良典 [読書]
日本は今曲がり角にいる。ここで政策を間違えれば世界にとんでもない災いをもたらす。
高度成長期はみんなが得をする時代であり、分配の問題など考える必要がなかった(p.10)。しかし、今は違う。今は人が余り、地球の自然資源が不足している時代なのだ。日本でいえば、縄文時代の狩猟採集時代、弥生時代以降から第2次大戦までの農業時代、そして現代までの産業社会である。今や世界各国の民が豊かさを求めて産業社会化を進めようとしている。日本などもアベノミックスと称して1国の首相が経済成長にこだわり、選挙に勝った勝ったと喜んでいる。その意味では日本の国会議員など自分の当選のことばかりを考え、日本の行く末のことなど全く考えていないといえる。アメリカなどは国土が広く、自然資源もまだ豊富にある国だ。そんな国の真似をしたからといって日本全体が幸せになるものでもなかろう。なぜヨーロッパの真似をしないのだろう。
今まではケインズ政策という伝家の宝刀があった。しかし今や市場経済への直接的な介入も森林の枯渇や土壌の浸食など資源・環境的な限界、金利の優遇等に直面した最近の現在にはふさわしくない。経済成長あるいはGDPの増加が必ずしも人々の幸福度や生活満足度に結びついていない。ブータンの方がよっぽどましだ。
これからは地域に密着したコミュニティにしていくべきだとの主張である。全く大賛成だ。難しい議論はやめてこのような地域主体としての日本へもう一度帰ろう。医学が発達し、みんなが仲良く暮らせる社会に変えることこそ今後の日本の成長がある。今後の社会はコミュニティが中心になるべきだろう。
天職 秋元康、鈴木おさむ著 朝日新書 [読書]
これほど言いたいことを言って、本になるのはやはり2人とも有名な放送作家なればこそだろう。
秋元氏に至っては「こうしたらどういう反応が返ってくるかということは何も考えない、自分がおもしろいか、おもしろくないかしかない」(p.75)と言い切っている。2人とも放送作家として世間から認められていることの証左だろう。
自分としては退屈だし、読み終えるのに苦労した。ただ「やるか、やらないか。その間には深い川がある」という言葉は深く心に残った。どんなに貧乏してもやりたいと思うことはやるべきだ。
大体、自分はあまり面白くない本や、難しい本を読むとき電車の中をもっぱら愛用している。しかもおおむねその1冊だけを持ち込む。しょうことなしに読まざるをえないからだ。この本もそうした1冊だ。現在世間で流行していることに察しがつくが、それ以上でも以下でもない本だ。