辞書になった男 佐々木健一著 [読書]
序章を読んでいて次章以降面白くなるだろうと思ったが、その通りだった。
昭和47年1月9日、それまで仲の良かった見坊豪紀と山田忠雄の二人が決定的に分かれてお互い口も利かない間柄になったのだ。
見坊先生の表した『三省堂国語辞典』(略して三国という)は、山田先生の著作の『新明解国語辞典』(新明解)がこの日、会社そのもののバックもあって、山田先生の著作とされたのだ。
見坊豪紀は大正3(1914)年11月20日東京に生まれ、昭和11(1936)年に東京帝国大学国文科を卒業し、山田は目立たず、大正2(1916)年8月10日に生まれている。そして昭和15年山田を助手に採用し、ようやく「明解国語辞典」が昭和18(1943)年5月刊行された。それは「ひきやすく」「わかりやすく」「現代的なこと」で、累計61万部を売り上げた。
見坊が作り上げた「三省堂国語辞典」は、昭和35(1960)年12月10日初版刊行以来13年後の昭和48(1973)年8月20日までに脅威の117刷となり、561万5000部にもなった。
そして見坊から頼まれた山田は「明国」第3版を自分の著作として出版した。山田はかねて辞書界に残る弊害(他の辞書の言葉をそのまま採用する)を是正したく思っていた。
しかし、この辞書は2人の米櫃であり、それによって二人の生活は成り立っていた。この二人(二人とも鬼籍)は最後まで相手を尊重していたらしいが、米櫃次第によってはわからない。
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